ウィッシュ好きです。
こんにちは、うぉるぱです。
12月15日に『ウィッシュ』が日本で公開されました。
私は字幕版と吹替版を試写会で拝見しましたが、ディズニースタジオ100周年記念にふさわしい内容になっておりとても満足しています。
公開からなんだかんだで半月経過してしまいましたが、つらつらと感想を書いていこうと思います。
ネタバレありで書いていきますので、ご鑑賞後にご覧頂ければと思います。
100年続くディズニーのスピリット
いきなりですが、皆さんが考える”ディズニーらしさ”とはなんですか…?
私は自分が考える”ディズニーらしさ”を今回の作品で感じることができました。
過去のディズニー作品を用いて言えば、『メリー・ポピンズ』らしさがあり、『プリンセスと魔法のキス』らしさを感じたとも言えます。
私が今作に込められた想いとして感じたのは、
1つ目に、大人になっても願いを抱き続けること
2つ目に、願いを叶えるために自ら行動すること
3つ目に、顔のいい奴は信用してはいけないこと
の3つ(2つ)です。
1つ目については、18歳になった時に願いを預けると願いを忘れてしまうという設定が、大人になると願いや幻想を抱くことをやめてしまうことを暗示しており、その呪縛をアーシャが解き放つというストーリーがシンプルながら良かったなと思います。
「大人になっても子供心を持ち続ける」ことはウォルト自身が一番体現していた部分であり、ディズニーランドの誕生が何よりもそのメッセージを強調していると思っています。
そして映画『メリー・ポピンズ』の誕生こそがこのメッセージの集大成だと考えており、個人的には1番”ディズニーらしい作品”だと考えています。
そう思う理由としては"Saving Mr.Banks"だからです。(伝われ)
『ウィッシュ』は"Saving the people of Rosas"という雰囲気を感じました。
年齢を問わず子供のような純粋な心で願いを抱くことを肯定してくれる内容はディズニーらしさに溢れており、自分自身がディズニーを愛している理由の1つでもあるので、記念すべき100周年の作品でこの要素を感じることができて幸せでした。
2つ目の「願いを叶えるために行動すること」については、近年のディズニー作品に見られる強い願いと行動力を持った主人公の系譜を感じました。
願いと行動力の圧倒的両立プリンセスは『プリンセスと魔法のキス』のティアナだと思ってますが、アーシャもそのスピリットを受け継いでおり、強く願い、自ら進んで行動を起こす様は見ていて頼もしかったです。
クラシック作品のプリンセスたちが行動力がなかった訳では全くありませんが、近年の行動を起こす様子がわかりやすく目に見えて描かれる方が、現実世界とよりシームレスな感じがあり観客としては感情移入しやすいのかなと思うので個人的には好きです。
純粋に自分も行動してみようと思わせてくれるのが良いですよね。
アーシャはみんなの願いを叶えることを願い行動するという少しメタ的でありスケールの大きい話でしたが、さすが100年の歴史を背負ってる少女だけあるなと感じました。
3つ目は半分冗談ですが、顔の良いボブ・アイガーCEOに対するアニメーターの不信感を暗示しているとも捉えられなくもないなと勝手に考えたり考えなかったり…(知らんけど)
とにもかくにも私がディズニーを好きであり続ける理由を改めてこの100周年記念作品で提示してくれたことで私はとても満足でしたし、今後もディズニーを好きであり続けるだろうなという希望を持たせてくれました。
次の100年もよろしく頼む。
願いに大きさなんか関係ないよという話
今回の映画で良いなと思ったのは素朴な願いの肯定ですね。
特にアーシャのおじいちゃん(サバ)の「音楽を奏でたい」という願いがシンプルだけど深くてとても心に響きました。
ディズニーといえば”夢”みたいなイメージが先行してしまう節がある気がします。
特に日本では「ディズニーランド=夢の国」というイメージが強く、ディズニー映画についても世間一般的には「夢は叶う」というイメージを抱く人が多い気がします。
そのようにスケール感の大きい”夢”というものに囚われてきた風潮がある中、今作のタイトルかつテーマとして”Dream”ではなく”Wish”を選んだのは個人的には良い選択だったのかなと思ってます。
DreamとWishの違いについては、"dream"を英英辞典で調べても” a wish to do, be, or have something”(ロングマン現代英英辞典より)と”wish”を使って説明されているのでかなり近しい存在だとは思います。
ただ、この2つの概念の感覚的な違いは気軽さな気がしています。
夢というとより”将来の夢”のような大きな目標のように聞こえてしまう気がしますが、願いだと少し気軽に抱けるような気がします。
どちらも心の奥底から生まれた強い想いではありますが、願いの方が素朴なものでも受け入れられる感じがします。
今回の映画を観て自分の願いはなんだろうなと思ったりしましたが、大きさとか実現可能性とか周りからの目線とかそういうものは全て関係なしに心からぽっと生まれ出る純粋な願いでいいんだなと思うことができました。
どんな願いでも肯定してくれるのがディズニーらしくて良いですね。
全体的に『メリー・ポピンズ』を感じた
先ほど今作に込められた想いに『メリー・ポピンズ』らしさがあったみたいな話をしましたが、それ以外にも随所に制作側のメリー・ポピンズ愛を感じました。
今回の作品で私が1番ハマったキャラはスターですが、スターこそメリー・ポピンズでした。
空から舞い降りてきて、困っている人を助け、そしてまた去っていくというのはまさしくメリー・ポピンズです。
スターの表情はミッキーさんからインスピレーションを得ているということで、スター自身の性格にもミッキーを感じていた方もいたみたいですが、私はずっとメリー・ポピンズが頭にありました。
「誰もがスター」とい楽曲でスターが間接的に伝えてくれるメッセージは簡潔ながら深みがあり、「お砂糖ひとさじで」のようなメリー・ポピンズっぽさを感じました。
ユーモアに溢れている点も彼女らしい感じがしましたし、全体的に自分の好きなキャラが投影された新しい好きなキャラを摂取できて幸せでした。
やはり”ディズニーらしさ”を突き詰めると『メリー・ポピンズ』に行きつくような気がしています。
『メリー・ポピンズ』はディズニースピリットの塊だと思います。
ちなみにですが、マグニフィコ王が願いを壊すシーンでも『メリー・ポピンズ』のオマージュが出てきてましたね。
最後に
改めて今作を振り返ると、良い意味でシンプルながら100年のディズニー映画のスピリットが詰まった作品になっていたと思います。
『シンデレラ』や『リトル・マーメイド』などのような歴史に刻まれてきたディズニー作品とはまた違い、ディズニーの歴史を刻み込んだ作品になっていたかと思います。
今後のウォルトディズニーアニメーションの作品で何かしら脱線することがあっても、『ウィッシュ』という作品を見返せばディズニーってやっぱりこうだったよねと再認識ができるような作品な気がしています。
今後もディズニー作品を全力で浴びていきたいなと思います。
100年後に生きてるかわからないですが、100作品目の時はまだ生きてたいなと思いますね。
皆様も体調崩さずお元気で。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。